食べて、作って、映画観て

映画を観て食べたくなったものを食べるブログ。たまに作ったりもする。

2017年映画ベスト

2017年、子どもを産んで私の人生が激変した。これまでの人生でいろいろなことはあったものの、仕事も結婚も出産に比べると、すべてがどーでもいい出来事だったような気がする。子どもの存在ってすごい。息子はこれまでに感じたことのない感情のチャクラをいくつも開いていき、嵐のような勢いでわたし自身を塗り替えつつある。

そんな妊娠出産の最中で、映画欲はめっきりなりをひそめてしまった。初期はつわりで苦しいし、中期は眠いし、後期は腹が苦しくて映画館の椅子に座っていられない。産んだあとは24時間体制で授乳とおむつ処理に追われ、娯楽のために出かけるような余裕は一切なかった。もし夫に任せて外出したとしても、3時間連絡が取れない状況では集中できないだろうと思うし、育休中は収入が大幅減のため節約したい。映画って時間もお金もある高等遊民の趣味なんだなと思った。

そんなわけでベストを出すほどの本数を観ていないが、一応よかった映画を書きだしてみた。ほぼ上半期に観た映画。

マンチェスター・バイ・ザ・シー

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# 以下盛大にネタバレを含んでいます

兄を病気で亡くし、甥の後見人として故郷の町に帰ってきた主人公リー。彼にはなにやら過去に事情があり、都会で最低賃金の便利屋をしながら自暴自棄の暮らしを送っていた。無愛想だし、バーで乱闘は起こすし、こいつ一体なんなんだよ全く共感できねーわ、という感じなのだが、彼を変えてしまった一連の事情が明かされると納得。ぐあぁぁ!!それは死にたい!一切の幸せを放棄するしかない!

ネタバレすると、自分の過失で幼い子どもを亡くした経験が、彼を永遠に"壊して"しまったのだった。妊娠中に観た私は他人事とは思えず、「これは…これはアカンものを観てしまった…」と震えた。小さなお腹の中の子はちょっとしたことで死んでしまいそうで、もし自分のせいで子どもが死んでしまったら、自分を一生許すことができないだろう。主人公の絶望は当時私が抱えていた不安そのものだった。

元妻がミシェル・ウィリアムズってところもこわい。事故の直後はエモ全開で攻撃されたんだろうなーと想像できてしまうし、二人が再会して元妻が詫びる場面は強烈な息苦しさだった。しかも、そんな元妻の現在の夫はマシュー・ブロデリックなんだよ! 安心安全な家庭を築いちゃいそうなマシュー君は、にっこりしてるだけで主人公を追い詰める。キャスティングの妙。

物語の後半、甥っ子に町に留まらない理由を詰め寄られたリーが、胸の奥に詰まった痛みを絞り出すような台詞がある。

"I can't beat it. I can't beat it,sorry."

(乗り越えられない。乗り越えられないんだ、ごめん)

簡単に再生の物語に仕立てるのではなく、装飾のない台詞で主人公の傷に寄り添う。作り手の誠実さが見える名場面だ。

リーと甥と不器用にキャッチボールをするラストシーンは涙なしには観られない。リーがボールを地面にバウンドさせると、甥がまたバウンドさせて、リーがキャッチする。普通のキャッチボールじゃなくて、バウンドさせるというところが二人のストレートじゃない関係を表していた。あらぬ方向に飛んでしまって、リーが「放っておけよ」と言ったのに甥がまたボールを追いかける。新しい子ども=甥との関係によって、リーの未来に希望の光が差したことを感じさせて映画は終わる。子どもは希望だ。

マンチェスターを書くだけでもう1時間かかってるんだけど、このブログ、今年中に書き終えることができるんだろか。

 

『メッセージ』

メッセージ [Blu-ray]

※以下盛大にネタバレを含んでいます

観た直後はそれほど響かなかったが、ジワジワと自分の中で評価が上がってきた。なぜかというと、この映画を観る前に、新型出生前診断を受けていたからである。

出生前診断とは、ダウン症をはじめとした胎児の染色体異常を調べるための検査。染色体異常の場合、心臓等に合併症があったり、生まれてすぐに亡くなってしまうケースもある。陽性の場合、9割の妊婦が中絶を希望するといわれている。もし陽性が出た場合どうしよう。障害がある子、すぐ死んでしまう子を産むべきなのか。夫と悩みに悩んだ。結果、我が家は陰性ではあったが、もし陽性だった場合、命を選別していただろうかという心のくすぶりは残り続けた。

映画の中では娘を病気で失うフラッシュバックが何度も登場し、物語の終盤まで観客は過去のトラウマだと信じてしまう。だが実はこのフラッシュバックは予知夢だったというどんでん返し。主人公は将来娘が死んでしまうことを知りながら、同じ未来を選択する。その先に悲しみがあると知っていても、人生のすべてを受け入れるのか。美しいSFの形を借りて、哲学的な問いを投げかけてくる。なお、原題の"ARRIVAL"には到着した人=宇宙人という意味のほかに、新生児という意味もある。

ドゥニ・ヴィルヌーヴは『ブレードランナー2049』も秋に公開されていて、こちらを観られなかったのが大変心残り。 

 

ベイビー・ドライバー

ベイビー・ドライバー (字幕版)

爽快なカーチェイス映画であり、とびきりクールな音楽映画。銀行強盗専門の凄腕ドライバーである主人公は、愛用のiPodの曲に合わせて車を芸術的にダンスさせ、追いかけるパトカーたちを鮮やかに振り切っていく。この冒頭の10分だけでも心を鷲掴みにした。愛すべきボンクラたちを描いてきたエドガー・ライトがついに覚醒!

ガールフレンドが働くダイナーやコインランドリーでのデートシーンにも胸をキュンキュンさせられた。カルト的な佳作として、将来影響を受けた新世代が出てくるんではないだろか。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』 

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

今年は子どもができて、これまでの人生で一番役所に行った。まー役所ってのはどこの国も一緒でロボットみたいな対応をされることがある。ちょっとでも空欄があれば「受理できません」、書類が無ければ「お帰りください」なんである。

失業保険を受け取りたい主人公のダニエルも、そんなお役所対応に憤る一人だ。彼と同じく役所で門前払をされたシングルマザーのケイティと出会い、弱者同士の助け合いがはじまる。寛容さを失った社会では貧困は個人の怠慢とされ、施しを恥だと感じてしまうよう仕向けられる。ダニエルもケイティも困窮していながら、複雑な手続きに弾かれて助けを求めることができない。善良な普通の人々が追い詰められ、尊厳を痛めつけられる様子はとても辛かった。

日本でも生活保護母子加算が削られ、児童手当が削られている。自分もいつ社会的弱者になってもおかしくないと思いながら観た。

『オクジャ/okja』

 


Okja | Featurette: Dolby Atmos | Netflix

 

NETFLIXがオリジナル映画を作ると聞いたときは、内容うっすいのになるのでは…なんてことを思っていたが、まったくの杞憂だった。『オクジャ』(ポン・ジュノ)『マイヤーウィッツ家の人々』(ノア・バームバック)はカンヌのコンペティションに出品されるレベルだし、オリジナルTVドラマの『マスター・オブ・ゼロ』も作り手の観察眼が光ってて面白い。映画と動画配信の境目がなくなってきたどころか、NETFLIXのほうがよほどエッジのたったものを作っている。

となりのトトロ』のような少女と巨大ブタの絆にほっこりし、ウェス・アンダーソンのようなシュールな間に笑い、ハリウッド仕込みのアクションシーンに手に汗握り…と全方位的に楽しめるエンタテインメント。食肉工場に送られる巨大ブタを通して、消費社会の是非を問いかける仕掛けもある。オクジャだと思うと、もう肉食べれない…。CGもアクションも劇場映画にまったく引けを取らない出来栄えで、NETFLIXでこういうの作られちゃうと劇場映画は本当に厳しいよなーと思った。滅多に映画館に行けない子持ち自宅警備員としては、配信映画が増えることは嬉しいけど。

キャスティングも豪華。ティルダ・スウィントンは傲慢な企業経営者の姉妹を一人二役で演じ分け、ジェイク・ジレンホールはアル中の動物博士役でキレッキレの怪演。私の好きなポール・ダノが出てるのもポイント高い。

 

『ムーンライト』

ムーンライト(字幕版)

うちの親は結構な毒親で、年中「死んでしまえ」と言われたり、持ち物を全部捨てられたりと子どもの頃からモラハラされていたため、母親の虐待に苦しむ主人公シャロンに自分の子ども時代を重ねて観ていた。

第1部では母親の虐待、第2部では学校でのいじめと、抑圧されてきたシャロンが第3部でマッチョな薬物ディーラーに変貌する。ディーラーになったのは親代わりだったフアンをなぞったからだし、マッチョになったのはいじめから脱却するために自分と真逆の人間になる必要があったからだった。いわば盾と鎧で自分を武装する必要があったのだ。でも彼の中の繊細さと純粋な愛は変わらずにいて、ケヴィンに会ったことで、シャロンはまた子ども時代に戻ることができる。

黒人、ゲイというマイノリティを描いた映画なんだけど、これは「自分を偽らなければ生きていけない」と思うすべての人に刺さる自分解放物語だと思った。映像もアート映画のように美しい。

ラ・ラ・ランド

 

Ost: La La Land

大好きな『セッション』のデミアン・チャゼルがミュージカルを撮る!ということで期待値が地球を3周半するぐらい高まってしまったため、「なんだこのバンド・ワゴンの劣化パロディは…」と思ってしまったが、他の映画と比べればロマンチックで素敵な映画だったかもしんない。ひねりが効いた台詞やスピーディなカット割はかっこよかったし、高速道路でミュージカルが繰り広げられるオープニングは現代的でワクワクさせられた。ただしライアン・ゴズリングフレッド・アステアのような滑らかさではないので、ダンスシーンでいつもお尻がむずむずした。

『お嬢さん』

お嬢さん(字幕版)

※以下盛大にネタバレを含んでいます

性の対象、支配される対象にされてきた女たちが、男たちを出し抜いて自由を取り戻す物語。女としてエンパワメントされる一作だった。

今年は妊娠出産を通して、日本社会では子どもを産んだ女は差別される対象なんだなーと強く思った。出産までは学校も会社も一見平等な競争であったものの、子どもを産むと「母親は家にこもって子守をしてろ」という風潮に一変する。子どもの責任はすべて母親にあり、好き勝手生きることは許されない。会社では昇進も昇給もなく二級市民のような扱いなのはマシなほうで、ひどければ退職勧奨。さすがジェンダーギャップ指数114位なだけあるよ、日本!

映画は三部構成になっており、一部ごとに騙し騙される対象が変わっていくという展開にワクワクさせられる。倒錯的な愛の世界と耽美な世界観も見どころ。舞台は日本統治時代、日本貴族の館という設定だが演じている俳優は全員韓国人だし、着付けも日本人から見るとちょっと変。『キル・ビル』のような外国人の目から見た”オリエンタルジャパン”と思ってもらえれば面白いのでは。

 

というわけで今年は「子ども」「女性」をテーマにした映画に興味があった。『ドリーム』を観ていたら入れていたかもしれない。ちなみに『20センチュリー・ウーマン』はおしゃれすぎて心に響かなかった。

つくづく映画はそのときの心情の鏡みたいなものだと思う。映画を観てちくちくと出てくる自分の心の棘を眺めてみて、ああ、こういうことを悩んでいたんだ、こういうことを考えていたんだと整理している。

子どもというのは今までの人生で一度も体験したことのない人間関係で、それまで気がつかなかった感情がたくさん出てきた。おしゃれでアートっぽいものへの興味が薄れる代わりに、人間に対する感性はより敏感になったかもしれない。人生経験としては産んで良かったなあと思う。

ではよいお年を。